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――でも、アルージュはデビューしてから3年?

そうだね。アルバム1枚。で、オレは個人的にはギタリストのコンピレーションである『HEAVY METAL GUITAR BATTLE』に参加したりすることになったんだ。あとは、三原順子さんが同じマネージメントで、ちょっとヘヴィ・メタルっぽいことをやっていたんで、一緒にツアーまわったりとかね。そういう意味では、メジャーのバック・バンドみたいなことも経験できたし、世の中の音楽のプロというシステムをちょっと垣間見ることがきたと思う。

――どうしてアルージュは解散したの?

結局は、まあ売れなかったっていうこと。売れてれば、世の中がほっておかないだろうし、メンバー間の仲が悪かったとしてもやるよ、きっと(笑)。解散したときって、みんな21〜22歳くらいだったんだけれど、結局は音楽をやめたメンバーもいるし、先の人生への決断をする時期でもあったんだよね。もしかして、あのまま20年やっていて、おもしろいバンドになったかもしれないけどね。でも、メジャーであることがメンバーを引っ張っていく原動力だったし、他のメンバーたちをメジャーにつき合わせていたようなもので、当時そこまでの意識を持ってやっていたのはオレくらいしかいなかったし。だから、メジャーで展開できないんだったら、第2の人生が選べるその時期に解散したかったんだ。

オレ自身のバンドに対する反省としては、売れなかったのはもちろんだけど、自分にしかできないなにかを見つけたいっていうのもあって、もう一度ギター修行っていうか、ミュージシャン修行を篭ってがんばってやろうと思った。

――で、筋肉少女帯に入るまで、どこのバンドにも入らずにやっていた?

バンドを組んだりしてはいたんだけど、頭でっかちになってバンドをやるのが怖くなっていたっていうのもあるよね。いろんな意味で武装していてね。だから、ライヴもやらずにリハーサルばっかりやっていて、間奏をずっと弾いているような、当時のレーサーXみたいことをやっていたようなバンドだったけどね。

いろんなことを試しているうちに見つけたのが、そこで自分がなにが好きかっていう。キッスからロックの世界に入って、ギタリストとしては、ブリティッシュとかヨーロッパよりの、湿り気があってメロディがあって、そして泣ける。そういうギタリストに、オレはなりたかったんだなって。

当時使っていたギターにはフロイドローズを付けていたりしたんだけど、まずはアーミングとタッピングを封じちゃおうと思った。だって、ほっておくとやっちゃうからさ。オレだって、80年代の子供で、ヴァン・ヘイレンとかナイトレンジャーのアーミングの影響を受けていたし、当時はそれをやらなきゃダメだった時代でもあったから。高崎さんだって恭司さんだって、アーミングやっていたわけだからね。

それを封じることによって、自分でなにか見つけられるかなって思ってね。で、その当時に、いまでも使っているギブソン・フライングVを買いに行ったの。それはもう高い買い物だったし、それにアームを付けたりはしないし。“よし、このギターで自分のスタイルを見つけよう”と思って、2年間くらい切磋琢磨していて、筋少に入ったのが23歳だったかな。若い時期のその2年間っていうのはつらかったけどね。
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